とある数学徒のひとりごと

ゆるく, しかし粘り強い思考を求めて

数学を好きになったのって...(自己分析その1)

珍しく夜眠れない. 今日は一日を通して岩波講座の『位相幾何学』を読み通したからなのか, はたまた佐武先生の『線形代数学』のテンソル積を読んで興奮が抑えられないからなのか...(グラスマン多様体はやはりいいぞ. 佐武さんの本にはあまり書いてないけど, 統計学でのマルチンゲール理論位に好きなものである.)佐武さんの本を読み続けてもいいと思ったが, どうせだから自分の中でいつも疑問だったなんで数学を勉強また研究していこうと思ったのかについてちょっと自己分析のようなものでもしようと思った. 俺はどういうわけか色々と不器用である. そもそも何かとびぬけた才能があるからどうこうというよりはむしろ, 努力していたというただその一点において評価されていたような気がする. 特に小学生くらいまでは. 幼稚園の時はひたすらに紙飛行機を作り続けたり, 幼稚園であった催し物になぜかはわからないが没頭していて褒められたということは覚えているのだが, 〇〇が上手ねみたいな褒められ方をされたことはないように思える. 小学生になってからテストというものがほとんど形だけではあるが, 行われるようになった. 子供のうちはだれでも神童というように周りの人たちは結構いい点数を取ったりしていた. そんな中, 俺の算数は70点くらいだったかな. 小学生のテストにしてはなかなかに悪いものだろう. その頃は(といっても今もそうだが)周りの人たちがみんな神様のように見えた. すごいなぁと感じていたのだが, それだけであった. 小学生の頃は勉強に関する闘争心はなかったのだがただ一つ, わからない問題は泣きながらずっと考えていて毎日頭痛とともに過ごしていたということがあったのである. 全教科である. よく父親にそれについて怒られていて, 一回宿題のプリントをもうやらないでいいとくしゃくしゃに丸められて捨てられたのを何とか拾ってしわを伸ばしてまた泣きながら考えたということがあった. この時点で何か勉強以外にほかの人と対等に渡り合えるものはないと薄々感じていたのだろうか? 中学生になってからは全教科で分からないところを泣きながら考える問うことはなくなり, 黙って考えることができるようになっていた. しかし, 肝心の数学については相変わらず泣きながら解くということが続いていた. ほかの科目はやり過ごせていたのだが数学はそうもいかなかったのである. その当時, 県統一の数学のテストで100点をたまたまとり県で1番になったのも関係しているのかもしれない. しかし, 当時は数学者になろうというよりは理科の方が好きだったし, 何ならプログラマーになりたいとおもって色々本を探したりしていた. しかし, 転機としては中学の時だろうと思う. 大体小学校・中学校という環境には人間の強弱を知らしめるという副次的な教育を念頭に置いているため, いじめというものが多発する. 小学生の時はそれの餌食になっていたのは今となっては笑い話だ. 大多数の同級生が同じ中学に入ることからこの環境も中学で続くんだろうなと思っていた. しかしそうではなかった. 中学ではテストの順番が出る. 大多数の生徒にとってはテストの点数という無機質なものによる順番付けは初めてだ. そりゃあ今まではケンカやカリスマ性などでヒエラルキーを構成していたのだから. テストの点数はそんなものとは関係ない. むろん俺もその口で, 要はテストの点数によって小学校のような嫌がらせを受けることは少なくなった.(しかし完全になくなったわけではない, 小学校を10としたら中1時点は8くらい.) その時気づいたのだ. こいつらは学校の教員も含め, 人をテストの点数で測っていると. 思ったはいいが別に勉強を死ぬ気でするわけではなく, ただひたすらに学校指定の問題集を何十回も解いていた. こんなのは冒頭の努力だけが評価されたという特性上あまり苦にならなかった. むしろ考えなくてよかったので楽だった. (今の中学生にそれを教えるのは一苦労だ.) そりゃあ学校のテストなんだから学校のテキストをやってりゃいい点数が取れる. 中1の時は280人中50番くらいだったのが中2では20番くらいになった. そうなると嫌がらせは3くらいに減った. それでも周りの人たちはすごいんだなぁという感覚はまだまだあり, こいつらみんな天才かよって感じであった. その当時志望していた高校が, 俺の中学では1番になってないと話にならないということを言われ続けていたのでそのとき10番から3番くらいを行ったり来たりしていた俺は勉強をするようになった. これが中2の中盤位. その時なんだが, 勉強してて睡眠が4時間とかになって授業中は極度の吐き気と脱水のような症状になって手が震えながらノートを取るということが続いた.(これは実に大学に上がるまでずっと続いており, 高校では心臓が痛くなり真面目に死ぬかと思った. )そのかいあってか, 中3の中頃くらいには1番になっていた. なんとその時も数学のことは意識していない. ただ点数が良くとれる教科というくらいの認識だった. びっくりなのだが, 学校で1番になると人に話しかけられることがおおくなり, また学校では大概のことは許してもらえた. (高校ではこれを悪用して少し痛い目を見た.) こうしてみると, 俺にとっては数学がどうこうっていうよりは勉強自体がやっていて自分にとって利益が多いと感じたのが中学校の時だったのかな. となると数学について興味が出だしたのは高校ということになろうか. もしくは浪人時代. 長くなったのでいったん切ろうと思うが, 中学校で俺にとって勉強がなくてはならない存在になったことは事実でありそうだ. 次は高校時代について項を改めて書くことにしよう. では.