とある数学徒のひとりごと

ゆるく, しかし粘り強い思考を求めて

忘却と10年後

今日は、ふと10年後の自分の置かれるであろう状況が恐ろしくなった。

60才近くなると、人間は自身のできると思うことと実際にできることのずれに極度にイラついてしまうらしい。

僕はそれでご飯まみれになってしまった。

箸を落としたり、ものを倒したりすることがそんなにイラつくことなのだろうか?

まだ20代の僕は、ものを滑らしたりなどよくあることなのでもう慣れているのだが、普通に生活ができてきた人間はそうはいかないらしい。

そのイライラに周りはどう向き合うべきなのか?

一貫して他者の立場をとる日もそう遠くはないのかもしれない。

しかし、日々の数学の研究や勉強で分からないことだらけなので、簡単にはイラつかない人間になったのはいいことだと思った。

というよりも、そのほかのことについてあまりにも無関心なのかもしれない。

無関心ゆえの諦めからくるような許容。

それはヒトとしてどうなのかと疑問には思う。

でもまあ、いきなり派手に暴れまくるよりはいいんじゃないかな。

10年後くらいには僕はそのような事態に真っ向から立ち会っていかねばならないことになる。

さすがに放置もできないので。

どうしたものか。

先に僕がどんどん忘れていくのもいいかもしれないけれど、忘れるものがあるほど人生充実してないしなぁ。

体くらいは鍛えておこうと思った。いざという時に死なないために。

明日になれば、彼のキャンバスは真っ白になっているんっだろう。

周りの棚や床は鮮明に汚れているというのに。