とある数学徒のひとりごと

ゆるく, しかし粘り強い思考を求めて

石ころさえも見れなくて

もうこの十数年歩いていて石を蹴ったりしたことがない。

小学生の頃は、石をボールの代わりにして遊びながら帰ったりしていたのに。

たまに見かけたとしても、それは大きめの砂利だったり、庭に入れる用のきれいな丸い石だったりと、以前のような自然に転がってそうなものはなくなっている気がします。

なんだか少しづつ思いがけない出会いというものがなくなっているようで、少し不安を感じます、ただの石ころなのに。

何をやるにも、きれいに整ったものからやって、そのゴールに達することでやっと、次に新しいことができる。

研究とはそのようなことの積み重ねではあるのですが、最近はもうゴールもわからず、目の前のことばかりに気を取られてやっています。

なにか気分転換に面白いことが転がっていないかと思っても、日本の高速道路のようにきれいに整ってしまっていて、なにも落ちてない。

石ころがなければ、もちろん小銭も落ちてない。

観察眼が足りないのかもしれませんが、なかなか手に取ることができません。

小さい頃は、小さな石ころを磨いたり、飾ったりして楽しめていたのに、今では、おおきな宝石があったとしても、さも知っていますというような顔をしなければならないような感じ。

小さな感動が周りからは当たり前のこと過ぎて共感されず小さくなる日々。

小学2年生の夏に一生懸命磨いた庭の石を、もう一度眺めてみたいものです。